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no.101
「有難う」を数えよう
 この歳まで生きてきて、ふと来た道を振り返ることがある。でも良くも悪くも懸命に生きてきたのは事実だ。

 これまで私は、「足るを知る」という言葉を心のどこかに置きながら生きてきたように思う。でもどうしても足りないものばかりを数えてしまう。もっともっと、まだまだと欲張って、これで良いのだと思えなかったのだ。

 ところが先日、有料老人ホームに入居して五年になる九十六才の母を訪ねた。母は突然の私の来訪に驚く様子もなく、元気なころのしっかりした?それでいて柔和な表情を見せて、「どうしたの?何かあったの?」と言って私をじっと見つめたのだ。私は母の視線に心を見透かされるような気がして、ドギマギしてしまった。

 いつも訪れて感じることだが、母のゆったりした表情、揺るぎの無い泰然とした姿勢に圧倒される。私はいつになったらこんな心境になれるのだろう。

 帰宅の途中、電車の中で突然こう思った。「そうだ。足りないものを数えるのではなく、"有難う"と言えるものを数えていこう」と。日常の小さな出来事でも、心に響いたことを大切にしていこうと。

 たとえば、私は毎朝、薬を二錠飲むのだが、先日、口に含んで飲み下そうとした途端、思わずくしゃみがでて、薬を吹き飛ばしてしまった。一錠はテーブルの端で見つかったが、もう一錠が見つからない。一つは飲んでしまったのかしら?確認しなければ追加して飲むわけにも行かないし、と私は必死になって薬を探した。

 すると、もう一錠はブラウスの裾の内側に張り付いていた。あわてて手で口を押さえたときに入ってしまったのだろう。ああ、良かった。これで一日安心して過ごせるわ。血圧の薬だから飲まなかったら不安で、一日何も手につかないもの。本当に確認できてよかった!私は思わず、「神様。有難う」と、手を合わせていた。

 また、最近、私は所沢にある「ふだん記」と言う文章サークルにも参加するようになったのだが、ニ、三回の例会の後、代表のMさんにこういわれた。

 「志帆さん、いつもニコニコしてるわね」と。でも私はそんな意識は全くない。ただ「あの人もこの人も頑張ってるのよね」と言う思いがいつもあって、つい頬が緩んでしまっているかもしれない。それが人さまに「ニコニコしてる」と見えるのだとしたら、こんな嬉しいことはないし、有難いなと思う。

 こんなことでなくても、雨が降りだす前に帰宅できたとか、急いでいてタクシーを探していたら目の前に空車が来たとか、いつもの道を歩いていたら、後ろから来た知人に「おはよう、どこへ行くの?」と声を掛けられるとか、小さな「有難う」が沢山あることに気がついた。

 でもでも、最高の「有難う」は、エッセイを「東郷」誌に載せていただいていることだ。私の人生でこれ以上の「有難う」は考えられない。心から感謝の気持ちでいっぱいである。

 という訳で、これからは日常の小さな「有難う」を数えながら穏やかに日々を過ごしていきたいと思ってはいるが、どうかしら?


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