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no.95
迷ったらやる
 人生、そうそう良いことばかりあるものではない。まして絶好のチャンスなんてたびたび訪れるものじゃない。このせっかくのチャンスを自分のものにするか逃してしまうかで、人生を左右することもある。

 私はまず行動することで、その数少ないチャンスを得てきたように思う。何ごとも迷っていては良いも悪いもないし、後悔することもできない。だから私は思ったらやってみる、迷ったらやってみるという姿勢で生きてきたつもりだ。でもこうは言っても、確かに判断を迷うことは日常茶飯事である。

 私がもっとも良いチャンスを掴んだと思うのは東郷神社の機関誌「東郷」にエッセイを載せていただいていることだ。何と言っても「神社」なのだもの、私にとっては「神さま」に認めていただいたような気がして、本当に光栄に思っている。

 そもそもこのチャンスは、私が当時、隣りの市であった保谷市の公民館に出かけたことに始まる。「西行を読む会」という講座に参加していて、当時機関誌「東郷」の編集委員であったIさんに出会った。全く自信はなかったけれど、以前からエッセイを書いていた私は、Iさんに勧められるままに「えいっ!」と覚悟して投稿したのだった。私のだめでもともとの精神がそうさせたのだろう。Iさんは今でもこう言うのだ。「ご縁があったのよ」と。

 五、6年前のことだが、親しい友人Aさんと気まずい別れをしたことがあった。それ以来電話が無く私は、「何考えているんだろう。電話くらいかけてくれればいいのに」と内心イライラしていた。一ケ月ほどしてこんな気持ちをいつまでも抱えているのは精神衛生上良くないと思い、私は迷いに迷った揚げ句電話してみた。

 すると彼女「あーら、しばらく。私もどうしているのかなあと思っていたところよ」とあっけらかんとしているのだ。私は思った。「そんならさっさと電話すればいいじゃない。あの時彼女、私ほどダメージを受けていなかったのね。私はあれこれ思いあぐんで疲れちゃったわ」と。

 そのことがあってまた親しいお付き合いが復活したのだが、思っているだけでは相手に伝わらない。やっぱり必要があれば積極的に働きかけていかなければ、時間も体力も気力も消耗してしまう。

 また、体調に不具合があって病院に行かなくちゃと、迷いに迷うことがる。でも病院ばかりは私も積極的に行きたいところではない。症状が出るまで迷っていて結局「腎ぞう結石」の手術を受けたのは、もう十三年前のことだ。病院へ言ったら医師に従うしかない。でもこの手術は辛かった。肝機能も低下していて四十日の入院の間、明けても暮れても点滴だったのだ。これには心底参った。

 これらは人生のほんの一部の出来事だ。日常は「迷い」の連続である。


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