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no.99
桃と佃煮
622.9  初秋のある日、親しい友人と一泊の旅に出かけた。どこでも良かったのだが今回は近場の「長瀞」であった。西武線「所沢駅」から「レッドアロー号」でたった一時間、あっという間に「西武秩父駅」に着いた。

 夏も終わりのためか駅構内は人影もまばらで何か寂しい雰囲気であった。

 駅裏の提灯さびし夏の果て

 宿は長瀞の岩畳に面した見晴らしの良い場所にあり、館内のモダンな内装や小さな花々のしつらえも、心配りがあって心を癒してくれた。洋室のベッドも心地よく天井も高く、快適な居心地であった。どこへ観光に出かけるでもなく、ゆったりと非日常の時間と空間を満喫することが出来た。

 さて、翌日帰宅の折り、いつもの駅の一つ手前の駅で下車した私は洗面所に入った。すると大きくて赤くて立派な「桃」が一つ、小さなビニール袋に入ったまま置かれていた。駅前の「I」というスーパーの袋で二百円の値がついていた。

 辺りを見回しても誰もいない。気がついて取りに来る気配も無い。私はなぜか、その赤い桃が神様からのプレゼントのように思えた。楽しかった旅の終わりのプレゼントかも、と勝手に思い込んで迷いに迷った揚げ句、その桃を頂戴してしまった。こんな時、他人はどうするのだろう。

 翌日、同行した友人にその「桃」のことを電話したところ、友人はこう言った。
 「食べて大丈夫?もしかして毒が入っていたりして、、、」

 私はそれを聞いてちょっと心配になった。でも、私は桃を食べたいから持ってきてしまったのではなく、旅の終わりに偶然出会った置き忘れられていた桃が、何か私に訴えかけているかに思われたのだ。このまま置いていても、どうせ誰かが持っていくに違いないもの。

 夕食後、私は桃を恐る恐る食べてみた。でも大丈夫。なんともなかった。それにしてもどうして私は二百円の桃にこだわったのだろう。こんなことしたのはもちろんはじめてだし、いつもは忘れ物など見向きもしないのに。きっと私の華やいだ気持ちと桃が合致したのだろうと思う。そうとしか考えられない。

 さて「佃煮」だが、夫は私がどこかへ出かけるというと、いつも決まって不快な顔をするのだ。めったに出かけないのに、その態度に私はいつもいつも悔しい思いをしてきた。

 今回もそんな嫌な思いをしての旅だったが、帰宅して翌日、知人から快気祝いが届いた。「佃煮」の詰め合わせだった。その佃煮をきっかけに夫は平常な会話に戻ったが、どうして私が出かけると不快な顔をするのだろう。そういえば結婚当初から、女は家にいるものと決めつけていたように思う。

 でも、もうそんなことで引き下がっている場合じゃない。確実に持ち時間が減っていくのだもの。これから先、何回旅に出かけられることだろう。


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